政治系のショート動画は本当によくできていると思う。
物価が上がっているのに、ガソリンの値段が上がり続けているのに、なぜ対応をしないのか。
これまで、なんなら普段の生活で通り過ぎていた不満を短い動画の中で政治家が断罪的な言葉に変換する。
その様子を見るにつれて、眠っていた正義感が刺激され、怒りに近い感情をもつ。
「いいね」や「リツイート」を押したくなる。
実際、「いいね」は押したことがある。
一方で、リツイートは躊躇して、結局しなかった。
これは本当に胸を張れる行動なのかと立ち止まったのだと思う。
煽られる感情と現実にできる行動のギャップが大きい
そうしたショート動画を見ていると感情は逆立つような感覚になる。
しかし、その一方で個人でできることはかなり制限される。
もちろんお祭りに参加するような気分で政治運動に参加する、という選択肢はある。
けれど、現実的な行動としては「選挙に行く」「自治体に陳情する」といった、かなり地味なものになるだろう。
ショート動画によって煽られる感情の強さと個人が実際に取りうる行動の間にはかなり大きなギャップがあるように感じる。
政治の適切さの判断はあまりに難しい
政治の判断を適切にしようと思うとあまりにも重い問題になる。
こうした政治系動画で語られる問題の多くが「程度問題」や「トレードオフ」を含む問題になっているのもその判断を重くする原因と思う。
よく出る税金の国民負担率、財政収支、予算の使われ方の問題。
たしかに重要な論点ではある。
しかし、それを本当に判断しようとすると、
- 他国と比較してどうなのか
- 財政収支はどの時点で黒字・赤字なのか
- 国債発行残高をどう評価すべきなのか
- 「適正な予算配分」とは何を基準に決めるのか
と、次々に検証すべき問いが出てくる。
正直なところこの問いをひとつひとつ判断するには重すぎる。
結局、私にとっては感覚で判断するしかない、となってしまう。
政治家の人を判断するときも演説している人の雰囲気を見て、「なんとなく正しそうだな」と感じるかどうかで判断しているに過ぎないということだと思う。
私は稀代の詐欺師のような人が政治家であれば、その人の演説が上手ければきっと騙されてしまうだろう。
「ちゃんと調べる」は、理屈では正しいが大変すぎる
もちろん、理想を言えば、
- 国の財政状況を自分で調べ
- 予算の使われ方を確認し
- 政治家の資金の流れを見て
その上で発言の信頼性を測る、という態度が良いだろう。
ただ、それですらかなりの手間だ。
現実には雰囲気で投票している。
選挙演説も判断に使うには情報としては軽すぎる
話は少し変わるが、選挙期間中に、ある政治家の演説を実際に見にに行ったことがある。
主張の中心は「投票してほしい」という点で、その背景となる必要性のロジックに対する説明は少ないように感じた。
正直、判断材料がほとんどない。
おそらく、投票される側にとっても政策の必要性に対する説明よりも知名度のほうが重要と判断しているように見える。
それでも関心を手放したくない
結局のところ、政治は本当によくわからない。
この年になって、もう少しうまく関われるようになりたいとは思う。
行政や政治家と建設的に対話できるような経験や様式を備えていたいと思う。
しかし、それは現実的にはかなり難しそうにも見える。
それでも、日々の生活がより良い方向に関与するには、行政や政治への関心を完全に失ってはいけないのだろうと思う。