喫茶店でスマホをポチポチすると、なぜか回復する

喫茶店でコーヒーを飲みながら、スマホをポチポチしていると、なぜか落ち着く。
集中しているというより、回復している感覚に近い。

同じことを家でやっても、あまり回復しない。
むしろ、少し疲れることすらある。

この違いは何なんだろう?


家と喫茶店で、何が違うのか

まず思いつくのは、

  • 雰囲気がいいから?
  • 安心感があるから?
  • ちゃんと整っているから?
  • 人の目があるから?

どれも間違ってはいなさそうだけれど、どこか説明しきれていない感じがする。

家だって安心できるはずだし、整えているつもりでもある。
それでも、家でスマホを触ると疲れて、喫茶店だと回復する。

確かに人の目があり、掃除がゆき届いているところほど回復する気がする。

ただそれらに共通する芯のようなコンセプトは異なる気がする。

家も安心感はあるだろうし、家族という人の目もあったりする。

しかし、喫茶店のスマホのポチポチとは体験が異なる。


違いは「可能性の数」ではないか

家にいるとき、視界や気配の中にはたくさんの「可能性」がある。

  • これを片づけた方がいいのでは
  • あの作業、まだ終わっていない
  • 今やるべきことが他にある気がする
  • 家族という触れ合ったほうが良いのではないか
  • 皿洗い、食事の用意、洗濯
  • 何なら仕事も家でやってる

何もしていなくても、
**「できてしまうこと」「やるべきかもしれないこと」**が常に立ち上がってくる。

一方、喫茶店ではどうだろう。

できることはかなり限られている。

  • 座る
  • 飲む
  • ぼんやりする
  • スマホを見る

環境そのものが、可能性を制限してくれている。

少なくとも家事はできないし、家族とも距離がある。
目の前にはパソコンかスマホ。
しかも人の目もあり、動画などを見ることもできない。

可能性が少ないんだ。


可能性を棚上げできると回復するタイプ

喫茶店では、多くのことを一時的に棚上げできる。

  • 家事
  • 仕事の続き
  • 未完了のタスク
  • 判断し続ける必要性

「今やらなくていいこと」が、物理的に遠ざけられる。

すると不思議なことに、
何かを生み出す余地が戻ってくる。

考えがまとまったり、
メモを書いたり、
あるいはただ落ち着いたり。

これは休息というより、
趣味に近い回復なのかもしれない。

やらなければならないことを想起する能力が高ければ高いほど、可能性を押しつぶされるようになるのかもしれない。

つまり、可能性が少ない状況での何らかの創作活動が自身を回復させる、どうやら私はそういうタイプらしい。


可能性を減らすためにできること

ここまで考えると
喫茶店に行く以外にも、可能性を減らす方法はいくつかある。

  • 掃除をする、片づける
    → 視界に入る分岐を減らす
  • スマホをカバンやポシェットに入れる
    → 取り出しやすく、即応できる可能性を減らす
  • 音楽を聴く
    → 聞こえる音の可能性を減らす。ホワイトノイズとか好きだった。
  • 車の中に入る
    → 行動の選択肢を制限する。

確かにこれらの行動を散逸的にやってきて、なぜか落ち着くなぁと思うことは度々あったが、
共通項を考えたことはなかった。

今後、可能性を減らすというテーマで環境を整えることを考えてもよいのかもしれない。


意思を鍛えるより、可能性を減らす

集中できない、落ち着かない、回復しない。
そういうとき、つい「意志が弱い」と思ってしまう。

でも実際には、
可能性が多すぎるだけなのかもしれない。

可能性を減らすと、意思決定が減る。
意思決定が減ると、調べ物や物を書いて、創作することで心が落ち着く。

喫茶店でのポチポチが回復になるのは、
その小さな構造のおかげなのだと思う。

もしあなたが「外にいると回復する」と感じているなら、
それは休んでいるのではなく、可能性の少ない場所に移動することで、趣味のようなものに集中できるからかもしれない。

そう考えると、回復の選択肢は意外と身近にありそうだなぁと思う。