意志の力を信頼しないという言説
習慣化について意志の力を信頼しないだとか、意志の力は必要ないだとか。
そんな言説をちょいちょい見る。
キャッチフレーズとしては確かに成立するのだろうけれど、意志の力は信じたいじゃないか。
それに『意思の力は不要』という言葉は扇情的でしっくりこない。
本当は意志の力は必要だけど、限りなく少なくて済むように仕組み化するというのが正しいだろう。
習慣化にとって重要なのはなんだろうか?
マッチョな考え方をするならば、まず毎日やる。
そのうえで意志の力を可能な限り少なくできるようなフォーマットに落としこむ。
こういう順番になるだろう。
これは意志の力がすごく必要になるやり方に見える。
なんたって、習慣化になるまで意志の力で維持し続けて、それが意思コストが十分低くなるまで耐えるということなのだから。
私で言えばスマホを手放したいと非常に思っていたが、まずスマホを手放してみて、それからしばらく打ち手を考えると行っているようなものである。
まずスマホを玄関において、しばらく生活し始めてみた。
このときはすぐに玄関までスマホを取りに行き、えんえんとベットでスマホをいじっていて、結局スマホを手放すには至らなかった。
意志力が低い人はルールを破っていまうと
すぐに自身の行動の罪悪感でやりたい方向性に戻る気力を失ってしまうのだ。
意思の力が低いところから始めるためにも意志力が大事。
習慣化をするに当たって意志の力が低いところから始めるという手もあるだろう。
でも、よく考えておくれよ。
意思の弱い人が習慣化するために意志力が低くても実行できる対策を考えきるのだろうか?
スマホをポシェットに入れて、少し出しづらくなるという案を考えた私はたしかに偉い。
自分でも褒めてあげたい。
しかし、それが実現できたのは自分の考え方を理解するという試行錯誤から生まれたものだ。
意志の力が流せる水路を整える
では、より良い考え方はないだろうか?
では習慣化に対して意志力は尊重しつつ、目標を眺めて、そこに向かっていく姿勢を表現するより良い考え方はないだろうか?
意志力はある方が良い。でも確かに意志力という抽象的なものに注目するのではないというのも正しく。
また環境変更によって実現が近づくというのも実感として正しい。
また、それが溜まっていくと成果が静かにたまり結実する。
これは自分の意思が目標に向かって流れるように『水路を整える』という感覚が私の中ではしっくり来る。
水路を整えることで自分の意思がきちんと目標の畑に向かって流すことができるようになる。
水路を整えるためには自分の意志の力の源泉を見つける必要があり、
きちんと地形をみて、水路を掘っていく必要もある。
水が流れるようになっていけば、その水は畑に溜まり、収穫できるようになる。
習慣が一度出来上がってしまえば目標のものは自然と手に入るだろう。
もちろん、その習慣はアクシデントによって止まることもあるだろう。
雨で増水して、水路が溢れてしまうこともあるだろうし、石が水路をつまらせることもある。
だから、その水路は常に詰まりを取り除くこともあるだろうし、崩れた土手は再度積む必要もある。
こういうことを積み重ねていくと習慣によって得られた収穫物が得られるのではないか。
でも結局、自己理解が一番大事だと思う
表現はいいものが見つかったのだが、結局は自己理解が一番大事だと思う。
私はスマホを取り除くという行為を前回してみたが、これにしたって自己理解がないと実行できなかったように思う。
自分に合う方法は人によって異なるのだ。
自分を理解して、意志の力がなれるような水路を整えるように環境を整備し続けると言うことが大事なんだと思う。